セックス・ボランティア
2005年2月6日 お仕事皆さん、セックス・ボランティアって知ってますか?
念のために言っておきますが、水商売とかああいう類ではないです。実は、障害者(身体障害者や知的障害者など)と呼ばれている人たちのためにセックス・ボランティアは存在するのです。彼ら障害者の中には、セックスの仕方がわからない、一人でセックスができない、処理の仕方がわからない、という性教育に対して無知にも等しい状況により、人間として当たり前の行動である性交という手段を知らないのです。障害者は一人の人間です(当たり前ですが)。その彼らの性的欲求を満たすために、セックス・ボランティアは様々な手段を使って、彼らの人間としての欲求を満たそうとするのです。
それを、大学時代にある先生から聞きました。最初は唖然としましたが、納得できるような出来事がありました。3年前の夏に社会福祉士の実習で知的障害者施設に訪れたときのこと。ある18歳の男の子が私を見て発情し、トイレにかけこんだのです。それも何日か続きました。その後、彼は、自分が尿失禁をしたと思い、落ち込んで施設に3日間来ませんでした。彼は、これから社会に出て、一社会人としての任務を果たそうとする過程の途中でした。彼らのような障害者のほとんどは、普通高校に通っていないため、思春期の男性特有の習性をほとんど知ることなく、大切な時期を隔離された社会の中で過ごすことになります。普通の男子高校生なら、友達との会話や、卑猥なビデオや本から、性行動について様々な方法を知ることができるでしょう。しかし、彼ら障害者の多くは、障害者というレッテルを張られ、さまざまな男性として必要な行為を学ぶ機会が損なわれているのです。
身体障害者に関しては、性教育について学ぶ機会はあるものの、セックスをするという機会に関しては、あまり多くないと思われます。それにも増して、知的障害者については、性教育を学ぶ機会すら無いと思われます。彼らにも当然の如く性欲はあります。しかし、教える人がいないのです。養護学校の先生だって、生徒だって、施設の職員だって、親だって・・・。みんなどうやって教えたらいいのかわからないのです。
しかし、障害者に性教育について的確に教えなくてはならないのが実情です。いつか誰かが、では遅いのです。できるだけ早く伝えなくてはならないのです。それでなければ、私を見て発情した彼のように、自分自身をコントロールできない自分を責め、自己嫌悪に陥ってしまいかねないのです。
障害者に関して、その抑えることが不可能な欲求を満たすために、セックス・ボランティアが存在するのですが、果たして自分にその役目が果たせるだろうかと考えました。
・・・・・、私にはできない。やっぱり愛のないセックスはできない。障害者、特にダウン症の人は人懐っこくて好きだけど、自分の体を犠牲にすることはできない。そう思いました。これが一般的な意見だと思っていますが。
しかし、セックス・ボランティアは、需要があるのが現状です。
ただ、形だけの愛を演じあう両者に置いて、その行為は無に等しいと、私は思うのです。
おわり。
念のために言っておきますが、水商売とかああいう類ではないです。実は、障害者(身体障害者や知的障害者など)と呼ばれている人たちのためにセックス・ボランティアは存在するのです。彼ら障害者の中には、セックスの仕方がわからない、一人でセックスができない、処理の仕方がわからない、という性教育に対して無知にも等しい状況により、人間として当たり前の行動である性交という手段を知らないのです。障害者は一人の人間です(当たり前ですが)。その彼らの性的欲求を満たすために、セックス・ボランティアは様々な手段を使って、彼らの人間としての欲求を満たそうとするのです。
それを、大学時代にある先生から聞きました。最初は唖然としましたが、納得できるような出来事がありました。3年前の夏に社会福祉士の実習で知的障害者施設に訪れたときのこと。ある18歳の男の子が私を見て発情し、トイレにかけこんだのです。それも何日か続きました。その後、彼は、自分が尿失禁をしたと思い、落ち込んで施設に3日間来ませんでした。彼は、これから社会に出て、一社会人としての任務を果たそうとする過程の途中でした。彼らのような障害者のほとんどは、普通高校に通っていないため、思春期の男性特有の習性をほとんど知ることなく、大切な時期を隔離された社会の中で過ごすことになります。普通の男子高校生なら、友達との会話や、卑猥なビデオや本から、性行動について様々な方法を知ることができるでしょう。しかし、彼ら障害者の多くは、障害者というレッテルを張られ、さまざまな男性として必要な行為を学ぶ機会が損なわれているのです。
身体障害者に関しては、性教育について学ぶ機会はあるものの、セックスをするという機会に関しては、あまり多くないと思われます。それにも増して、知的障害者については、性教育を学ぶ機会すら無いと思われます。彼らにも当然の如く性欲はあります。しかし、教える人がいないのです。養護学校の先生だって、生徒だって、施設の職員だって、親だって・・・。みんなどうやって教えたらいいのかわからないのです。
しかし、障害者に性教育について的確に教えなくてはならないのが実情です。いつか誰かが、では遅いのです。できるだけ早く伝えなくてはならないのです。それでなければ、私を見て発情した彼のように、自分自身をコントロールできない自分を責め、自己嫌悪に陥ってしまいかねないのです。
障害者に関して、その抑えることが不可能な欲求を満たすために、セックス・ボランティアが存在するのですが、果たして自分にその役目が果たせるだろうかと考えました。
・・・・・、私にはできない。やっぱり愛のないセックスはできない。障害者、特にダウン症の人は人懐っこくて好きだけど、自分の体を犠牲にすることはできない。そう思いました。これが一般的な意見だと思っていますが。
しかし、セックス・ボランティアは、需要があるのが現状です。
ただ、形だけの愛を演じあう両者に置いて、その行為は無に等しいと、私は思うのです。
おわり。
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